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藤本タツキになれなかった女ー漫画『ルックバック』感想

7月19日月曜日午前零時。藤本タツキ先生の読み切り『ルックバック』が少年ジャンプ+にて公開された。漫画好きサブカルオタクのみならず、各界の著名人や芸能人がこぞって絶賛し、ジャニオタしかいない私のTLでも読む人が大勢現れた。2人の少女の邂逅が彼女たちの運命を変え、ハッピーエンドに終わると思いきや後半の残酷な展開に頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

ルックバック - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

 

 

 

この作品を読んでまず思ったのは悔しい!!!!!!!

 

天才と称される漫画家先生にただの一般人が悔しいなどという感情を抱くのは烏滸がましいことだと重々承知しているが、本当にふつふつと悔しいという感情が湧いてきたのだ。なぜこんな感情に苛まれたのか、自分なりの解釈を交えながら紐解いていきたいと思う。

 

※注意※

本文にはネタバレが含まれております。未読でネタバレを踏みたくない方は絶対に読まないでください。また、作中に出てくる実際に起きた放火、殺傷事件をモチーフとしたと思われるシーンについても言及しております。事件のことを思うと胸が苦しくなったり、具合が悪くなる方は絶対に読まないでください。

 

 

 

井の中の蛙だった藤野

主人公藤野は某地方都市に住む小学4年生の女の子(多分山形の市町村のどこか)絵が上手く学年新聞に4コマ漫画を載せている。同級生に将来漫画家になれるのではないかとチヤホヤされ、自分が1番絵が上手いと思っている様子。ある時、担任の先生から不登校の京本に4コマ漫画の枠を一枠譲っていいかと提案を受ける。その次の号の学年新聞に載った京本の作品を見て藤野は衝撃を受ける。
小学4年生とは思えない大人びた写実的な絵。まるで初期のピカソのよう。隣に並ぶ作品と比べると藤野って大したことないね等と同級生が口々に言い始める。多分、これが藤野のとって初めての挫折だったのだろう。


実は私も昔は絵を書くのが上手いと大人達から持て囃されていた子供だった。父がかつて画家になりたかったということもあり、家にはスケッチブックや水彩絵の具パステル等の画材道具で溢れていた。休み時間に友達と一輪車やドッジボールをするより、教室で自由帳にポケモンやマンガのキャラクターの模写をするのが好きだった。妹が嵐の櫻井くんを好きになり一緒に見た映画『ハチミツとクローバー』を見たことや、10歳年上のいとこが東北芸術工科大学で建築を学んでいた影響から将来は美術系の大学に行くのもいいなと憧れていた。親も当然そっち方面の道に進むのだろうと思っていた。でも、絵画コンクールに出されたり、学校文集の表紙を飾る絵に選ばれるのはいつも別の子だった。自分が一番上手だと思うのになぜ選ばれないのだろう。疑問と共に胸が痛む。

小学5年生に上がる年スイミング教室を辞めて同じ建物内の絵画教室に通うことにした。その教室にはかつてポスターやコンクール常連だった子が通っていたが、彼が少年野球を始めたので入れ違い。絵画教室に通えばコンクールの絵に選んでもらえるかもしれない。淡い期待を寄せて毎週F8サイズのスケッチブックに絵を描いた。先生は70代くらいの小洒落たおばあちゃんだった。点描画や千切り絵、日本画など小学校の図工では習わない絵を描くことは楽しかった。また、絵の題材になる果物を描いて描き終わったら生徒みんなで食べるのが教室の恒例だった。たまに先生がクロワッサンなど甘いパンを持って来てくれると嬉しかった。(我々のお月謝は画材道具費というより食費に消えた…)

 だが、小学校6年生になっても私の絵は選ばれなかった。物の形を捉えたり、影をつけたりするのも上手になったはずなのに。自分にははぐちゃんみたいな才能はない。自分は竹本くんなのだ。美大に行ったって食っていける人はほんの一握りだし、教員免許を取って先生になりたいわけでもない。諦めよう。私は絵を描くのを辞めた。中学も高校も絵とは無関係の部活に入った。大学では経営学を専攻した。今はアートやクリエイティブといった言葉とは全く無縁の仕事をしている。

 

 

 

・藤野の努力の果てにあったもの

週一で絵を描いていた私と違い藤野は悔しさや嫉妬心をバネに絵の技術を身に付けることにのめり込んでいった。本屋さんで絵画技法の本を買い、ネットでどうしたら絵が上手くなるか調べ毎日学校の休み時間も放課後の時間も全てデッサンに充てていた。藤野が小学校6年生になったある日同級生が絵を描くのを卒業したらと声をかける。付き合いが悪くなったことを咎め、中学に上がってまで絵を描いていたらオタクと思われるしキモいと。小学校高学年にもなると家族で出かけるより、友達と遊ぶ時間が何より楽しく思えるようになる。クラスメイトなりの気遣いだったのだろう。また、今はオタクにも人権があるようになったが平成初期〜中期にかけてはオタク=キモいというのが世の中の印象だった。オタクを理由にいじめに遭っていたというしょこたんの話も有名だ。悲しいことにそれほどオタクのイメージは良くなかったのだ。(だからと言って人をいじめていいという理由にはならない!)

 ある日ぷつんと糸が切れたように藤野は絵を描かなくなる。連載していた4コマ漫画も辞めた。放課後は友達と遊び姉と同じ習い事をするようになる。季節は流れ卒業式の日に転機は訪れる。担任から頼まれ4コマ仲間として京本の家に卒業証書を届けることになった藤野。京本の家に行き彼女の部屋の前で藤野は久々に4コマ漫画を描く。それを拾い見た京本は藤野を追いかけファンであることを告白する。そのシーンを見た時たった一人でも読んでくれる人、見てくれる人、聴いてくれる人がいる限りその人の為に創作を続けるのだという誰かの言葉を思い出した。藤野の画力が上がったのも京本はちゃんと気づいていたのだ。

 

 

私は絵を描くことのほかに諦めたことがもう一つある。それは小説を書くことだ。魔法のiらんどケータイ小説が流行っていた頃ふみコミュという女の子がチャットをしたり掲示板を書いたりできるサイトの中に小説を投稿できるコーナーがあった。たかだか小学生のケータイ小説の真似事だ。自己満足にしか過ぎなかったが、中には読んでくれたりコメントをくれる人もいた。当時はピンとこなかったが、ブログやnoteを書くようになって読者がいるのは嬉しいし力になると気づいた。残念ながら恥ずかしさと父が使うパソコンだった為ふみコミュでの処女作は完結する前に途中で削除した。

また、高校〜大学時代に朝井リョウ先生や羽田圭介先生にハマり私も文学賞に応募してみたいなという気持ちが湧いて来た。綿矢りさ先生や羽田先生が初めて文学賞を獲ったのは高校生の時だったから私も頑張ればいけるかもしれないというバカみたいな発想からだ。だが、応募要項の文字数の多さに気押され結局応募には至らなかった。今考えればショートショートでも短編でもいいから送ればよかった。いきなり文学賞じゃなくても夢小説を書いたりPixivとかに投稿すればよかった。

私と藤野&京本の圧倒的な違いは作品を完成させられなかった点だ。作品を完成させなければ誰かに見てもらったり、評価してもらうこともできない。また、1作でも作品を完成できたことは創作者にとって自信にも繋がり、また挑戦してみようという気にもなる。不格好でも黒歴史になったとしても完成させればよかった。

 

 

・共同制作者であり友達。そして袂を別つ2人

小学校を卒業した2人は藤野キョウというペンネームで漫画を描き始める。初めての読み切り作品が入賞し、2人はそのお金で遊びに行く。山形市の七日町と思われる横断歩道を横切る2人に個人的に懐かしい気持ちが溢れる。ずっと家に引きこもっていた自分を連れ出してくれた藤野に感謝する京本。こんな幸せがずっと続いてくれ。次々と作品を発表する2人、遂に編集部からデビューの声がかかる。だが、京本は美大に進学することを選び藤野1人だけデビューする形に。2人は袂を別つこととなったのだ。

 

 

・そして起こる悲劇

デビュー作がヒットしアニメ化も決まった藤野。一方地元の美大で絵を学ぶ京本。それぞれの場所で頑張る2人に悲劇が起こったのだ。

 

 

 

 

 

※ここから先は前述した通り実際にあった放火、殺傷事件について触れています

 

 

 

 

 

 

大学内に自分の作品を罵倒する声がするなど言う男が押し入り学生を殺傷してしまう事件が起こった。京アニの放火事件や京都精華大学の事件を彷彿とさせる描写だ。その事件で京本が犠牲になり亡くなってしまった。大切な友達であり、共同制作者であり、自分の半身とも言える存在をなくした藤野はショックのあまり休載してしまう。そこでもし自分が京本を部屋から出さなければ彼女は死ななかったのではないかと自分を責める。これ以降の描写を私はタイムリープではなくifルート。存在しない記憶のようなものだと解釈している。

デロリアンや電話レンジが使えるのならば藤野は何度でも過去へタイムリープして京本を助けに行っただろう。でも、卒業式の日直接2人が顔を合わせなくても京本は背景美術に惹かれ美大に進学していただろう。きっとそういう運命なのだ。

 

 

藤本タツキ作品が描く死

ファイアパンチ』『チェンソーマン』を読んだことがある人は藤本タツキ作品は読む人を選ぶ作品だとお分かりだろう。本当に少年誌に載せていいのかと疑いたくなるようなグロテスクで暴力的な描写。頭のぶっ飛んだ行動をとるキャラクター。あっさりと死んでいくキャラクター達。藤本先生はキャラ重視ではなく展開重視で作品を作る人だ。だから、作中のキャラクターも話を面白くするための舞台装置に過ぎない。キャラが死んでしまうとしても意味のある死を遂げる『鋼の錬金術師』育ちの私にとっては衝撃だった。だからこそ『ルックバック』で描かれた京本の死が異様なくらい重くのしかかってきた。

 

 

・我々にとってフィクション、カルチャーとは何か

突然だがあなたは『Dr.STONE』のストーンワールドに生まれたら生きていける自信はあるだろうか。私の答えはNoだ。千空というスーパー科学者がいるとはいえ石器時代レベルの文明下で音楽、映画、漫画、アニメ、小説といったフィクションやカルチャーがなければ生きていけない。『花束みたいな恋をした』の麦くんや絹ちゃんのようにフィクションやカルチャーを摂取しないとダメなのだ。心の豊かさや栄養が損なわれる気がしてならない。
コロナ禍においてエンタメ特に映画や舞台、ライブ音楽は不要不急とされた。女優の橋本愛さんの「私は一本の映画に命を救われました」というスピーチがYouTubeで公開されているが、映画だけでなく一冊の小説や漫画、一本のアニメに命を救われるという経験もあるはずだ。


「現実から逃げた人間は自分の中に自分だけの世界を作る まさに創造的精神活動!」

上記は『映画大好きポンポさん』の劇中のある台詞だ。現実から逃げた人間、現実で満たされなかった人間の孤独を埋めるのはフィクション、カルチャーである。だが、そういった作品を享受する消費者の受け取り方次第でどうにでもなるし、受け取る人間の脆さも孕んでいる。突然素晴らしい人や作品がなくなってしまう恐怖。前途有望なクリエイターが亡くなってしまった現実とフィクションは別物ではなくてどこかで紐付いているはずだ。『ルックバック』はそういった現実とフィクションが切っても切り離せない面を教えてくれた。

 

 

・結局私の悔しいという感情は何に対してのものだったのか

アニメ『輪るピングドラム』においてプリンセス・オブ・ザ・クリスタル様は「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」という台詞を何度も高倉兄弟に告げる。多くの大学生は何者かになるべくリクルートスーツに身を包み何十者と企業にエントリーし自らを売り込む。面接では今まで何を成してきたかという質問がよくされる。私もかつてそのような就活生の一人だった。

 

何者になる=何かを成している人という印象が私の中では強いのだ。

 

大学時代に公認会計士に一発合格し仕事で活躍する友人、突如アイドル声優オーディションを受け見事合格しジブリ作品にも出演したサークルが一緒だったあの子。自分とあまり年が変わらないのにヒット作を飛ばしている藤本タツキ先生。頭では「何を成すかではなく、どう生きるのかが大事」と分かっている。湖を泳ぐ白鳥が水中では必死に足を動かしているように、今華々しく活躍している人も昔は凄い苦労をしたり、努力の結果が実を結んだのだと自分に言い聞かせてもしこりのように残る何とも言い難い感情。結局私は何者にもなれない自分自身に嫉妬していたのだ。

 

もう一点なぜこの作品がこんなにも刺さり悔しくてたまらないのか。それは私のifーあり得たかもしれない姿が藤野であり京本だっかたらだ。あの時絵を描き続けていれば藤野にとっての京本みたいな友達ができたかもしれない。美大に進学できていたかもしれない。努力を続けていれば何かが変わったかもしれない。悔やんだところで現実は何も変わらない。行動を起こしていてもハチクロのはぐちゃんや『ドメスティックな彼女』の夏生のなり損ないにしかなれなかった可能性だって十分にある。何者にもなれない私はきっと作品を作り出す側ではなく消費する側としてこれからも生きていくだろう。